酒都・西条の酒蔵の中でも 一貫して“辛口”にこだわる
2021.06.04亀齢酒造は、全国でも有数の「酒都」として有名な東広島の西条にあります。
西条は龍王山の伏流水が井戸水となって湧き出る名水の地。
西条の酒蔵では今でも井戸からくみ上げた名水を仕込み水として使っています。また西条は酒の仕込み時期には気温が4~5℃になるなど日本酒造りには理想的な条件がそろっています。
西条駅の東側には赤い煙突と白壁の蔵が立ち並ぶ「酒蔵通り」が続いています。毎年10月には全国から集められた約1000銘柄の地酒が楽しめる「酒まつり」を開催していて、まつりの時期は20万人以上の人出でにぎわいます。
日本酒の名産地と言えば、灘が有名ですが、灘では質のいい硬水が湧き、この水を用いて辛口の酒が造られています。一方で広島では明治30年ごろ、軟水を利用した独創的な"軟水醸造法"が編み出され、ロあたりが柔らかく、芳醇で旨味に富んだまろやかな酒が造られるようになりました。
灘の酒が「男酒」と呼ばれるのに対し、広島のお酒は「女酒」と呼ばれるようになり、広島では甘いお酒が多く造られてきた歴史があります。
ただ、その中でも亀齢酒造は一貫して辛口のお酒にこだわって酒造りを続けてきました。
「我々も流行に乗って甘口も試そうと思った時期もありましたが、信念を貫いて辛口一本でやってきました」と話すのは、亀齢酒造の次期蔵元・石井崇太郎さん。
創業1868年(明治元年)、屋号である「吉田屋の酒」として売り出し、酒客に親しまれていました。明治30年に長命と永遠の繁栄の意を込めて「亀齢」という名という社名に変更しました。
その名の通り「キレイ」ですっきりとした辛口の酒を現在に至るまで造り続けています。
「キリっとした辛口は低温発酵が決め手 冬の間に酒が呼吸するんです」
広島県内で最たる辛口と定評のあるそのお酒ですが、いったいどのようにして造り出されているのか、探ってみることにしましょう。
広島という土地は、南に瀬戸内海、北に中国山地という立地から、地域ごとの寒暖の差が激しく、そのため同じ県内でも甘口から辛口淡麗から濃醇まで多彩な味わいの酒が造られているのが特徴です。
その中でも「亀齢」のキリっとした味わいを醸し出すためには低温発酵が決め手になるといいます。
通常、酒造りは冬場におこなわれます。
お酒では15℃未満、吟醸酒になると10℃未満で醸すため、寒さが必要になってくるんです。
冬の間にじっくりと低温発酵させて酒が呼吸し静かに熟成していくのを待ちます。低温発酵は時間がかかるので、このときばかりはみな酒中心の生活をして蔵人たちは寝起きを共にしながらひと冬を過ごします。
その中では、蔵人達の強い団結心が生まれます。
彼らがひと冬をかけて真心を込めて丁寧に育成したお酒が誕生するのです。
「蔵人たちが住み込みで対応するからこそ彼らの思いがこもった、いいお酒が造れると思うんです。機械的な人間が多くなっている時代だからこそやはりお酒に対するこだわりをもった我々の熱い思いがお酒に表れてくると思うんです。
時代と逆行していると言われてしまうかもしれませんがここだけはこだわっていきたいです」
(石井崇太郎さん)
「旨い日本酒は4つの条件を満たしている『亀齢』はその4つを常に吟味しています」
「亀齢」の原料となる米は、最高級の酒蔵好適米八反・八反錦・山田錦などを厳選しています。
契約農家さんに作ってもらったお米を大切に扱い、良い酒を醸すという酒造りの鉄則にこだわり、精米を重ねそこに最上の伏流水をふんだんに使い、芳醇な香り、旨さ、爽快なのどごしを醸します。西条盆地の厳しい冬の気候と杜氏の技術が加わりこれらの条件を調和させて「亀齢の酒」が出来上がるんです。
「旨い日本酒は、4つの条件を満たしていると言います。
1. 香りがよいこと。
2. 辛、酸、甘、苦、渋の五味のバランスがいいこと。
3. 色が付きすぎていないこと。
4. 鮮やかなつやがあること。
「亀齢」は常にこの4つの条件を吟味しながら品質を磨いているんです」
(石井崇太郎さん)
亀齢には「亀齢 純米92」という商品があります。
「92」とは精米歩合を表し、つまり92%は精米の米といういわゆる低精白のお酒を造っています。
低精白のお酒は、厚みのあるお米のうまみをしっかりと感じることができ近年とても人気を集めています。
一般的な流れとして高精白なお酒が重宝されていますが亀齢としてはお米を最大限に活用する低精白で美味しいお酒を造っていきたいと思っています。
亀齢酒造には、大正6年、「亀齢」の優れた醸造技術に対して日本最初の名誉賞が送られました。
以来、名だたる品評会において、数々の金賞、銀賞などを受賞して、今日に至ります。
〜エピローグ〜
石井さんは元々家業である酒蔵を継ごうとは思っていなかったと言います。
男だけの3人兄弟で、「自分がやらなくても」という思いもありました。
しかしいざ社会に出て就職してみると「続いてきたものをやっぱり絶やしてはいけない。伝承していきたい」とあるとき思い始めたんです。
長年続いてきたものを引き継ぐ重圧を感じつつも、やるなら楽しく、美味しいお酒を広めていきたい。この会社を自己実現の場にしていきたいと日々精進しています。